小学校の美術の授業で石膏デッサンをやったらいいと思う。結構マジで。
別に石膏でなくても、缶でも瓶でもぬいぐるみでもいいけど、結構前から思ってて。なぜなら……
デッサンは、いまの子供に足りないものを教えられます
デッサンに必要なのは、集中力と、観察力と、自分で判断する能力です。
1時間かそこらのあいだ黙ってモノを観察する、集中力と観察力。そしそれを紙の上に絵として残すためには、観察した結果を自分の責任で判断して、どうやって描くかを決めなきゃいけない。
それって全部、いまの子供に足りないと言われていることですよね。それをやしなうのに、デッサンは使えます。
感性とか才能とか、謎の精神論はもういい
これは数年前に保育の勉強をしていた友達に聞いた話だけど、
文科省の教育要項の中で、美術の授業は「こどもらしい『感性』を育てるためのもの」と定義されているそうですね。
そんな定義に沿って授業をするので、なんとなく自由に描かせるのが主流になっていったようですが、それではたいしたことは学べません。美術の授業が単なるオマケのレクリエーションみたいな存在に成り下がっちゃうのは本当にもったいないですが、ただ楽しく描かせるだけでは、そうなっても致し方ないのではと思います。
どうも、偉いおじさんたちをはじめ、多くの日本人の頭には
「美術とは、自由に描いて自由な感性を育てるもの」
みたいな謎の精神論が根付いているようです。
芸術系職の人間が「自由な感性と才能」だけに支えられて生きているなんていうのは、大嘘もいいとこなのですが。
技術が表現を支えていることを学ばせるべき
感性がどうとか、そっちの方向に行くべきじゃないと思うんですよね。
技術を教えるほうが意味があると思います。美術の専門教育で行われているようなある程度効率的なメソッドで、デッサンとか色彩構成とか。あるいは、世間の標識やロゴがどういう理屈で生まれているか、とかのデザイン論。
芸術や芸事っていうのは、自分の持てる技術で、自分の責任で世に何かを出す、ということです。
感性とか芸術とかの土俵に乗ったようなものでも、そのベースには必ず技術が必要で、それは自分の責任と努力で身につけるしかないものである、というのを教えるのに、デッサンは格好の材料だと思うのです。
それを社会に出る前に教えるって、けっこう重要なことだと思うんですけどね。