大人の「人見知り宣言」禁止法案が可決

人見知り宣言禁止法案が可決

「私、人見知りなんで」。多くの人が新生活を迎えるこの時期、よく使われる自己紹介のフレーズが違法に–。衆議院は今日、30歳以上を対象とする人見知り宣言禁止法案を自民・公明両党などの賛成多数で可決しました。法案を審議した衆議院内閣委員会は30歳以上という年齢設定について「本来人見知りが許されるのは小学校低学年までだが、最近は言葉の意味が変わってきたため譲りに譲った」としています。

市民からは合理的であるとして賛成の声が聞かれる一方、政権による言語統制ではないのかとの強い反発の声も上がっています。

エイプリルフールおめでとう!
冒頭のはもちろん釣りです。でも撤廃したいのは本当。

初対面の人に接する場で「人見知りですがよろしくお願いします」って発言する人がけっこうたくさんいます。学生が歓迎会で。新入社員が飲み会で。フリーランスが交流会で。独身男性が婚活の場で。合コンの自己紹介タイムで。SNSのプロフィールで。まあまあいい大人が。30過ぎても。みんな人見知り宣言。

悪気はないというのでしょうけれど、言われた側は嫌なものです。人見知りとは「人と仲良くなるための気遣いが苦手」というほどの意味だとして、はて、これから仲良くなるかもしれない自分に向かってそれがわざわざ発せられたとなると、それは一体どういう意味なんだろうかな、と考えざるを得ません。

ふつうそこは「これから仲良くしてくださいね」でしょうのに、人見知り宣言は逆に「仲良くなるのは難しいです」と言っているわけです。誰とも仲良くなりたくないなら人の集まる場所なんか徹底的に避ければいい。でもこの人は交流の場に顔は出している。ということは、と理屈をつないでいくと、人見知り宣言とは結局こういう意味だろうなという解釈に落ち着きます。

「仲良くはなりたいけど、自分から気遣いや努力は一切しない」
「だから君たちは私に気を遣うように。お前らから話しかけなさい。ただし程よい距離感も保つように」
人見知り宣言を言われたほうが面食らうというのは、このあたりが理由です。

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ところで一方、人付き合いを上手にこなしているように見える人も、います。だけどじつはこの手合の人間だって警戒心がないわけではなく、初対面の人に声をかけるのにはやはり勇気が必要です。それでもあえて自分の付き合いスキルを周りにふるまった結果、人は「人付き合いの上手な人」になるんです。自分から差し出した結果なんです。

「私、人見知りだから」って宣言は、その人らに気遣いごとを丸ごと押し付けますよっていう宣言でもありましょう。たった一言を免罪符にして逃げるなんてフェアじゃない。だから私は「人見知り宣言」が嫌いです。

これほどまでに人見知り宣言する大人が増殖したのは、「言ったもん勝ち」でそのほうが得ってことになったんでしょう。なにせひとこと宣言するだけで面倒な気遣いを他人に押し付けられるっていうんだから、ならば横並びで真似しとこうかというわけですね。出たぁ、日本人の嫌なとこ。

こういう言い分があるのも知っています。
「自分に気を遣えなんて言ってない!あれは『人見知りのせいで冷たく接してしまうかもしれないけど、嫌ってるわけじゃないから許してね』って意味なんだ!」
でも、残念だけどそれもちょっと。どんなに不快でも許せというのでしょうか。やはり一方的でアンフェアに思います。

「人見知り」は本来こどもに対してのみ使う言葉ですが、「人見知り宣言」ってなると大人独特のものだという点が興味深いですね。こどもが「僕人見知りなんで」なんてけっして言わないんです。「人見知りだから人見知りって言っただけだもん」なんて天然ぶってもムダなことで、なにかしら言外の意味をこめて宣言してるんですね。仲良くしたくない相手に対して敢えて「人見知りなんで」って宣言して遠ざける、という人もいるくらいですから。

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人付き合いは確かに難しいし、面倒臭い。だけど「(人は)土から離れては生きていけないのよ」のセリフよろしく、人は人付き合いから逃れられないのです。

だから人見知り宣言なんてなんの意味もないのです。そればかりか「自分=人見知り」って自分で自分を定義するもんだから、言えば言うほど人見知りから脱却できなくなるんですよ。言われたほうも不愉快だし、少しもいいことない。

べつに人付き合いが苦手であっても、構わないと思うんですよ。というか、100%得意な人なんてどこにもいないですよ。一見人付き合いが上手にできている人だって、だれも鋼の心臓を持っているわけではなく、自分のできる範囲でみんなに愛想よくしてるだけですよ。それでいいんですよ。あくまで自分のできる範囲で、話しかけたりちょっと笑顔を出したりすればいいんです。

そして、どこか新しい場で誰かとうまく付き合う必要があるとき、そのために非常識だと思える量の努力がいるのなら、それはその関係があなたに合ってないってことです。あなたが悪いんじゃないんです。離れる・辞める・切るなどすればいいんです。人間関係を選ぶとか何様だって怒る人もいるけど、自分が過剰なストレスを溜めないように環境整備をするのも、大人の責任のひとつじゃないかしらと私は思うのです。

というわけで、みなさんの新生活に幸あれ!

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